社会不安

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日大アメフト部の問題で加害者の選手が単独で謝罪会見を行ったあとで、ようやく監督とコーチによる謝罪会見が行われた。

大学の関係者と見られる司会と記者とのやり取りがネットで話題になっている。この興奮した司会のお粗末さは氷山の一角で、会見に限らずここまですべての対応が危機管理学科を擁する大学の危機管理のお粗末さを露呈してしまった。スポーツで大学の知名度を価値を上げ、学生誘致を図る意図とは真逆になり大学のイメージが落ち続けている。在学生はたまったものではなかろう。

映画評論家の町山智浩氏がラジオで、この事件の一連の流れは今の日本を象徴しているとし、「しまいには若者が年配者を全く信用しなくなってしまう」と激昂していた。

権力者が配下の者に対して生殺与奪を握った上で、あくまでも「自発的に」権力者の望む行動をさせるという構図。

町山氏は「仁義なき戦い」に出てくる組長を例にとって、「ヤクザが鉄砲玉をしかけるやり方と一緒」と断罪している。直接指示をすると犯罪教唆になるので、漠然とした希望とその見返りを提示するという方法である。「◯◯がいなくなると助かる」「◯◯さえいなければお前の地位も高くなるんじゃないか」という犯罪教唆にならないギリギリのラインで耳に入るようにし、あくまでも自発的に鉄砲玉の役割を果たさせる。目的は果たせつつ責任がおよばないという構図である。

政権でいえば、内閣人事局で人事権を握った上で官僚を思うように動かし、チームであれば練習への参加や選手登用をちらつかせ望む役割を果たさせる。

日大の会見で監督は「私の指示ではない」と語った。これは本当だろう。監督は「相手選手に怪我をさせろ」とは指示していないだろうから監督も自信満々で言えるだろう。ただ町山氏のヤクザの例えではないが「対戦相手のQBが怪我して次の試合に出れなければいいな」とか「QBがつぶれれば役割を果たせるんじゃないのか」といったスレスレの教唆で選手にけしかけているのだ。直接的な指示をしなければいいというものでなく、選手の立場であれば通常その言葉をどう受け止め、どういった行動をとるのが立場的に最適と解釈するかを考えると状況証拠的に「怪我させろ」と言っていることと一緒じゃないか。

立場が弱い者に選択の余地はなく、捨て石にされ後は知らんぷりである。町山氏ではないが書いていて猛烈に腹が立ってきた。

若い人が未来に希望が持てなくなるような事件や問題が頻発しているような気がする。

飛躍するようだが、こういったことが続くと、社会全体に不信が蔓延して不安定になってしまうのではないか。信用は生きていく上の社会の基盤である。信用という可視化できない財産が失われることは経済成長率が下がるどころの騒ぎではない社会不安に繋がりかねないと思う。