孤独

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netgame_chudoku_haijin.png東洋経済ONLINEに掲載されていた「日本の男性を蝕む「孤独という病」の深刻度」を読んでいろいろと考えた。
人生100年の時代、定年後の長い時間にも社会や人との繋がりを持ちつづけることは健康上の観点からも不可欠な要素であるという主旨である。


「男性」と限定しているのは、女性と違って会社以外での関係を作るのが不得手な人が多いからだろう。女性は何歳でも仕事や家庭とは関係のない趣味の友人関係や社会活動の繋がりが強固なイメージがある。自分を振り返ってみても今のところ会社以外の人間関係はほぼない(親類縁者は別として)。

高齢男性が接客業の人などへ高圧的な振る舞いをするというのを見聞きする。自分の経験で恐縮だが、仕事の際に保安上、禁止事項に触れている客にそれとなく配慮を求めるお願いをした際、女性は丁寧に応じてくれるのがほとんどであるが、男性(主に中年以上の男性)は激しく怒り出すケースが結構あった。まどろっこしいので具体的に書くと展覧会の仕事で傘の持ち込み(当たると危険)や飲食物の持ち込みお断りを丁重に説明してこちらで預かるといってるのに逆上である。ぶん殴ってやりたい気持ちを抑えつつ謝り倒してその場を収めなくてはいけない。女性はゆったりした気分で展覧会を楽しもうと来ている反面、中年男性以上は展覧会に殺気立って来ている人がちらほらいるのはなぜか。

話は逸れたが、高齢者の反社会的行動も「孤独」というキーワードで読み解ける。働いていた時には所属している会社や肩書き、部下や同僚などの人間関係が自然と築かれていた。しかしこの関係は定年後にはほぼリセットされてしまう。リセットでせいせいするのであればともかく、精神的に依存している場合はその喪失感は計り知れないだろう。

喪失感から自分は世の中から必要とされていない存在なのではないか、という不安、自己不全感につながり、それが外へ怒りという形で噴出してしまう。

書いてて思ったが、これって反抗期の子どもと同じ思考回路なんじゃないか?子どもの場合はそういった時期を経て、大人になるという、成長に不可欠な側面がある。高齢男性の場合も反抗(?)を経てまた成長するのか。これってただの甘えのような気がしてきた。お膳立てされた居心地のいい社会的立場や人間関係から追放されて、自力で何もできず当たり散らすというのは自分勝手で、当たられた方はいい迷惑である。

こればっかりは周囲が救いの手を、というのも限界がある思う。自力でなんとかするしかないのだ。

残りの人生を愉快に過ごすか、憤懣抱えて過ごすかは自分次第じゃなかろうか。

人ごとじゃなく、自分も今後気をつけようと思った。比較的ぼっちを好む方だが、だんだん改めていった方がいいのかもしれない。じいさんになったらオンラインゲームにチャレンジして新たな人間関係を構築しよう。見ず知らずの人らとパーティーを組んでドラゴン退治などオツかもしれない。こういうヴァーチャルな繋がりはダメだろうか?!ダメな気がしてきた。