しばらく前になるが、週刊文春にある宋文洲氏の連載で「そろそろ日本人は根拠なき精神論と決別すべきだ」という題で日本人の仕事へのスタンスについて述べてあり非常に共感した。
その中で、ソフトバンクの孫正義氏と著者との会合のシーンが挙げられていた。孫氏は世間話の間は無気力で会話に参加しない一方、ビジネスの話になると一転元気になっていたそうだ。主旨とちょっと外れている部分だが、自分は真逆であることに気がついた...。
長いが肝に銘じたい部分を引用する。
「仕事ができない人間に限って、空元気を出し、精神論を振りかざす傾向があります。残業の問題もそうです。用もないのにダラダラ会社に残っている人の大半が仕事のできない人。残業は上司に対するポーズでしょう。成果は、人のやる気に関係なく、仕事の積み重ねによってもたらされるもの。それは花の育ち方と同じです。『愛情を持って育てれば、綺麗に花が咲く』という人がいますが、いくら愛情があっても水分、肥料、日光など適切な条件が揃わないと花は咲きません。人間の気持ちなどとは無関係です。」
結果はどうあれ頑張ったんだから(頑張ったフリも含む)偉い!みたいな風潮はまだ学校であれば"ある程度"許容できる。一方で大人社会で結果よりも過程が大事というスタンスでは、たまたまうまくいっている時はいいが問題が発生した時はいつまでもたっても解決しない。
以前ネットで外資系の常識を漫画で面白おかしく書いているサイトがあって印象に残ったのは、チャラチャラしている社員で短時間しか会社におらず、外で遊んでいるのか仕事しているのか分からないが成績がよくて年収(年棒?)ウン千万の人もいれば、毎日出勤時間より1時間も早く出勤し、整理整頓、ほうれんそう(報告、連絡、相談)を欠かさず、ルーティンワークはほぼ完璧、ビジネスマナーもバッチリの日本的な社員の人がほぼ基本給のみしかもらえないため転職していった、という話だった。要するに「成果を出さなかった」ためだろうと思う。
誇張はあるとはいえ象徴的だと思った。外資系などでは「結果はどうあれ頑張ったんだから」などという評価の仕方は絶対ないだろう。
翻ってわが日本では結果よりも過程を重んじる傾向があるのはどういう背景があるのだろう。こういう精神構造も何かしら歴史的・思想的背景があって形成されたのだと思う。そのルーツが知りたい。
理屈ではわかっていても、こういう状況で生きているうちに何も疑問に思わなくなり、精神論を振りかざすような人間になってしまうのはとても嫌だ(気がつかないだけでなっているかも)。自己正当化や都合のよい脳内解釈をするでなく、自分に都合が悪い部分にも目を向け、現実から目をそむけないようにするためにはどうすればいいか。客観的な評価は指標になるが、じゃあその客観的な評価は何をもって客観的な評価とすればいいのか。第三者的立場で自分の心の中を客観的に観察すればいいとも思ったがその境地に至るのは簡単ではないだろう。